■ 先日、野鳥写真の本を見せてもらった。
■ ほぼ同年齢で、同時期に野鳥写真を撮っている。
■ ディジタルカメラの進化と伴に生きてきたという感じの時代でもあった。
■ いくつか、記憶を蘇らせられる鳥たちがいた。
■ 懐かしさがある。
■ 昨日、吹田市・千里南公園でルリビタキ・メスの写真を撮り、
■ ルリビタキ・オスを見た。
■ 帰宅し、前年同期の写真を見ると、ルリビタキ・メスは1年前の同月同日だった。
■ なのだが、実は、日付が間違っていることに気づいた。
■ 2021年の11月分がすべて10月になっていた。
■ おそらく、10月分の日付を複写して利用したため、
■ 「月」はそのまま「日」だけ変更したようだ。
■ 以前にも同じことがあり、途中で気付き、訂正したコトもある。
■ 今回は1年前のひと月分だ。
■ 元の写真で日付を確認するればいいのだれど、
■ 今は存在しないサイトの画像投稿先の頁で確認した。
■ その投稿した頁を複写保存していたのが役立った。
■ 以前、興味の対象のひとつは、時間、だと書いた。
■ また、どこかに、
- 歴史とは今の記録だ
■ とも書いた。
■ 野鳥写真を記録していると、
■ 野鳥たちは、死んでなければ、同時期、同場所に現れる。
■ その個体が死んでいても、別の個体が現れる。
■ 天気やその他のコトで、撮影しないこともあるので、記録がない日もあるけれど、
■ 野鳥の動きは、人間の動きより正確であると言える。
■ だから、みんなが日付や場所の記録を共有すれば、みんな幸せになると思う。
■ 見せてもらった写真集には各頁の写真毎の日付はなかった。
■ 図鑑でも、月だけで、「年」や「日」は書かれてないのが普通だけれど、
■ 年月日の記録がある方が実用的だと思われる。
■ 地球上の大きな変動や人間の営みがどう影響しているかが分かる。
■ 例えば、シマアオジなど極端に減少している種もある。
■ 特定の地域で、それを食べる習慣が影響していると言われている。
■ 日付があれば、もっと多くのことを共有できたかもしれない。
- 人生とは何だろう
■ というとき、それは、日々の生活であり、記録だと思う。
■ よく分からないけれど、
■ 認知症、とか、ボケ、というのは記憶が記録されていないので
■ 日々、たいして変わらない日常のため、磁気媒体のように、薄れ、残らず、再生できず
■ 体力の低下とともに行動範囲が狭まり、
■ 関心事や興味の対象がなくなってしまうからのように思える。
■ そんな時、
■ 読書が役に立つかもしれない。
■ 例えば、友をSNS上に求めなくても、本の中に多くの友達や師がいる。
■ 読書には時間がかかる。
■ その意味では、孤独こそが人生であるともいえる。
■ 昔、寺山修司は本を捨てて街へ出ようなどと言ったが、
■ 今の世ならば、スマホを捨てて、本を読もうということかもしれない。
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