2022-11-20

我は食う ゆえに我あり さつまいも

■ 日本には、よく知られた3つの句がある。
  • なかぬなら なくまでまとう ホトトギス
  • なかぬなら なかせてみよう ホトトギス
  • なかぬなら ころしてしまえ ホトトギス
■ それぞれの個性だ。
■ だったら、君なら何と詠む。
■ こう問われたとき、「なかぬなら」と最初に口に出して言うと
■ 何も出てこないかもしれない。
■ ホトトギスの句だから、ホトトギスは季語として置いておいて、考える。
■ 発想の転換だ。
■ 野鳥撮影をしている人は、
  • なかずとも 縞でわかるぞ ホトトギス
■ こんな句が浮かぶかもしれない。
■ 色々考えるコトができるだろう。
■ しかし、今更、小難しく考えることなどない。
■ まあ、私なら
■ 俳句的に、こんなことを書いて、問題はこのあとなのだ。
■ デカルトだか、誰だか、知らなくてもいい。哲学することはない。
■ 重要なのは
  • ゆえにわれあり
■ この部分だ。
■ これについて考えるとよい。
■ というか、「ゆえにわれあり」と言葉にだしてみるといいのだ。
■ そして、575にしてみる。
■ このようにすれば幾らでもでてくる。
■ 日本人なら誰でも俳句を知っている。
■ それが定型のよさであり、
■ それがそれぞれの個性というものだ。
■ 例えば、
  • 我は食う ゆえに我あり さつまいも
■ これが人間の基本というモノだ。
■ 日本は食べ物がおいしい、などと、外人女・YouTuber が言う。
■ 例外はない、と言ってよいほど、食べ歩きをしている。
■ 衣食住、という言葉があるから、「食」は一つの文化であるには違いないにしても、
■ 他にないのかね、というくらい動画の定番だ。
■ 日本文化を感じられない、外国人たち。